『敗北と死に至る道が生活』その2907
雑誌「MORE」は今日じゃなくて明日発売のようです。って買いに行ったんかい!女性誌なのに。なんかとりあえずスキャンしようと思って。10年前からやっときゃよかった。。。昔の雑誌のスキャンとか持ってたら教えて下さい。田家秀樹さんと言えば甲斐バンドや浜田省吾といった日本のロック・ポップスを創世記から見続けている人なので、さすがに引き出す力が凄い。ほぼミヤジに喋らせていた。日比谷野音を連続でやっているアーティストで1位だという事実を、みんな売れるとドームとかいっちゃうから。と。
甲斐バンドと言えば、レッドカーペットの審査員に甲斐よしひろが出ていた。その前日にNHKの押尾コータローとのスタジオ収録を見たばっかりだったのでびっくりした。押尾コータローの演奏に「そうそう。そこのベース音まで表現して正解!」と満足しながら見ていた。二人のインタビューで分かったのだが、押尾コータローさんは甲斐バンドのファンだったらしく、甲斐さんが「拾って欲しい音は全部ひろってくれた」と言わしめた。ギター1本で「氷のくちびる」のイントロをやったときは、ドラムとキーボードとベースとギターが全部聞こえた気がした。
甲斐バンドは新宿都庁が出来る前の原っぱで単独野外ライブをやったのだが、私はそのライブを見た。クレーンで吊ったミラーボールの光が京王プラザホテルや住友ビルの壁面にあたってそりゃあ美しかったのを覚えている。なつかしー。
大森さん!