『敗北と死に至る道が生活』その2950
沢山の物にあふれた部屋は目的の物が見つからない。これでは何も無いのと一緒だ。ならば何もない方がいい。と、15歳の秋からずーーっと思っているが、日々なんちゃらの請求書だの明細書だの、未だに何が書いてあるのかさっぱり分からない「巴里の憂鬱」などざざっと隅に追いやり、いつのまにか床に島が出来る。こうなるともう整理もやっかいになって島ごとカラーボックスの上においてしまったりする。石原さん買い取ってくんないかな。斉藤和義の会報はどこいった。冬のツアーの先行予約がどうのこうので、「まだだな」と思って隅に追いやったままどっか行ってしまった。
ドラマに出てくるような部屋には掛け布団がない。いいなとは思うが、実際その部屋で暮らそうとすると落ち着かない気がする。借りてきた猫の方がよっぽどうろつき回る。現実的にはタオルだのパンツだの靴下だの、食べかけのさきいかだの。で、あふれかえる。日曜日にはサザエさんだって見たい。庶民でじゅうぶん。