『敗北と死に至る道が生活』その3118
保育園の頃「芸能人はなんで格好いいんだろう?他人に見られるとだんだん格好よくなるんだ。だから芸能人は格好いいんだ。」と思って一人で町をふらついた記憶がある。保育園児の頃だ。町をうろついたところで誰も見ない。母が保育園を巻き込んで探しまくっていたっけ。家に帰って「どこで何してた」と聞かれたが「他人に見られるとだんだん格好よくなるんだ」とは言えずに黙っていた。謎のガキだった。今では知っている。他人に見られるとだんだん格好よくなるんじゃなくて整形してんだ。保育園のバスがもたもたしていたので歩いて保育園まで行った記憶もある。たぶん2Kmくらい。飛べた記憶もあるのだが、それを言うと全部が嘘だということになってしまいかねないので、これは誰にも言った事がない。飛べたと言っても2mほど滑空しただけだ。タモリも園児の頃「こんなガキくさいことしてられるか」と思ったそうだ。
近所のおばさんに心配されたいために鉄棒からワザと頭から落ちたこともある。痛かった。ちょっと痛い子供というか本当に痛い子供だった気がする。昇り棒を上下しているうちになにかが弾ける感じがして毎日やっていた。それが性的なものだと後で知った。与えてもいないかりんとうを私が握り締めているので、よく見たら自分のウンチだったという話は親戚が集まるたびに母が話しているのだが赤ん坊の頃なので記憶にはなく、話を捏造されたんだと思うが、そんな嘘は得がないので、事実だったのかもしれない。
小学校に入ってからは西城秀樹の人気が凄かったころジーパンの裾に針金を仕込んでパンタロンの広がりを強調したことがある。西城秀樹の人気が凄かったころ、真冬に裸にジージャンだけ羽織って犬の散歩をしたことがある。今はギャランドゥーの残骸だけのこった。
バスに乗るたびに、読める物は全部読むんだと、町中のカンバンを読み上げていた。ニッカウヰスキーの「ヰ」が読めなかった。席に書いてあるバスの禁止事項「一、窓から手を出すこと」「一、運転手にみだりに話しかけること」などが、全部命令のようで、窓から手を出しながらみだりに運転手に話しかけないといけないような不思議な気持ちになってバス酔いしてしまった。それらは全て[not]がつくのだが、未だにif文を組み立てていると「かつ?又は?どっちが否定?どっちも否定?」。よく分からなくなってバス酔いしてしまう。