『敗北と死に至る道が生活』その3821
九州出身者の醤油へのこだわりが強い。と思いませんか。マヨラーの"味の素製品"へのこだわりと同じかそれ以上に強い。九州の醤油は、関東ではお餅のときにしか使わないような甘い醤油だ。と言うと「違う」「砂糖醤油なんかと比べるな」と反論される。その圧が強いっつうの。九州の居酒屋で「普通の醤油ありませんか」と聞いたら、つまみだされたことがある。もちろんおつまみの方だけど。千葉県出身の私こそ醤油にこだわらなくてはならないのかもしれない。ひらがなが多い。ヒゲタ、キッコーマン、ヤマサ。全部千葉県だ。千葉県の小学生は今ではどうか知らないが、私が小学生の頃はヒゲタかキッコーマンかヤマサに工場見学に行かされた。すなわち銚子か野田なのだ。利根川沿いのこの両町は交通の便と気候のせいか醤油の名産地なのだ。醤油工場に行かない学年は、なぜか中山競馬場の真ん中の芝生まで行って昼飯を食って帰ってくるという謎の遠足だったのは船橋市だけなのだ。当時の競馬場というのは入場料なんか取らずにものすごくオープンな空間だったのだ。周りの道端からいくらでも入れたし、レース中の馬場にだって入れたのだ。誰もそんなことはしなかったのだ。平和な時代なのだ。行田団地が建つ前のあの空間は行田無線の跡地のせいで道が円になってつながっているのだ。Googleマップで確認できる。肩すかし。