『敗北と死に至る道が生活』その3847
私が中学生だったころ、QUEEN が [Crazy Little Thing Called Love]を出したとき、「げっクイーンがこんな曲出した」と大喜びした感覚に近い。エレカシのTEKUMAKUMAYAKONを聴いて。大きさの違うものを運ぶという難しさ。私は引っ越し業者でもなんでもないが、いや、なんでもないってことはないが、なんでもないに近いか。そんなことはどうでもいいが、引っ越し業者はなるべく段ボールに入れて欲しいと言う。大きさが統一された物体を運ぶのは楽だからだ。インターネットもこれで成り立っている。文字、画像、写真、動画。ファイル種別もそれぞれ。こんな雑多なものをユーザーが要求するたびに、サーバーからパソコンまでネット回線を使って送受信しているのだ。考えただけでもすごいだろう。ところがあなたはその凄さにちっとも感謝せずに「くだらねぇ記事だなぁ」と鼻くそでもほじりながら、なんならケツでも掻きながら見るのだろう。
私が引っ越し業者に見積りを出すと、たいがい段ボール30箱と言われる。むこうはプロだから、おおよその平均値を持っているのだろう。インターネットは「パケット」という単位で送られている。引っ越しの段ボールが1パケットだ。文字、画像、写真、動画、全てパケット単位に切り刻まれて送られる。切り刻まれたものをブラウザは組み立てなおして表示している。パケットに満たない情報も1パケットだ。要するにスカスカの段ボールも満タンの段ボールも同じ1パケットだ。パケットにはヘッダと呼ばれる自分自身の情報を持っている。段ボールに張り付けるラベルのことだ。「私はAという画像の3番目です」とか。でも虫眼鏡でよくよく見ると1と0しかない。1と0で泣いたり笑ったりしている。それがデジタル。