『敗北と死に至る道が生活』その4317
「中国人お断り」って日本語で書いてるし。そんなことはどうだっていいが、何か新しい仕組みに移行するときに、旧形態の今後を心配をしてしまう自分がいるが、果たしてそれは正しいのだろうか。電子書籍ばかりになると町から本屋がなくなる。とか。
極端に言うと、全部電子書籍にしてしまえば町の本屋なんかいらない。印刷業者だって配送業者だっていらなくなる。だから最近の雑誌は必死になって付録をつけている。小学生か。
過渡期には旧形態のやり方でメシを喰っている人たちの心配をしているが、例えば車が発明された時に馬の世話をしている人たちの心配をしただろうか。たぶんいたんだろうが、現代で馬飼いの心配をしている人はいない。縄文時代から弥生時代に移行するときに縄の心配をしただろうか。土器に模様をつけるあの縄のことだ。ハエじゃない。たぶんいたんだろうが、現代で繩の心配をしている人は女王様くらいだ。このようにあと十年もすれば誰も本屋の心配なんかしないのである。
VHSに負けたベータだが、そのVHSだってもう無い。もっとも、ベータにこだわったソニーは過渡期うんぬんでなく最初から心配されていた。長いものには巻かれろということだ。短いと巻けないからだ。