『敗北と死に至る道が生活』その4467
クーポンとかキャンペーンとかポイントって恐らくパピプペポが入っているから格好悪いんだと思う。だから私はそういうの「大丈夫」です。と断っている。そんなことはどうだっていいが、絶対と相対について困っている人も多いだろう。
相対は自己中心。「自分から見て右」これだと他人には理解出来ない。絶対は誰がどうみても絶対。例えば日本の住所表記。これは絶対。「東京都」というだけで日本のかなりの面積が除外される。東京都は絶対に北海道ではない。かたやアメリカ方式。2-1-3から始まる。2丁目1番地3号。これはカリフォルニアからニューヨークまでかなりの勢いで点在する。相対で物事を言うとこうなる。「で、どこの2-1-3?]次のフレーズでやっと「ベイカーストリート」が出てくる。「で、どこのベイカーストリート?」で、やっと「サンノゼ」が出てきて「サンノゼ」も分からなければようやく「カリフォルニア州」が出てくる。これが絶対かと問われれば、仮に「カリフォルニア州」がメキシコにも存在するとなると「アメリカ合衆国」まで必要となる。あんたがどこにいるかなんて知らない。だが人生の大部分は絶対に相対的である。