『敗北と死に至る道が生活』その77
多くの人は一人では寂しいという。私は(猫)と二人でいるときを除いて一人が好きだ。旅もコンサートも(映)映画も(WC)トイレも一人で行く。インドだって(SKI)スキーだって一人で行ったことがある。何故か(桶)カラオケだけはなんとも恥ずかしい。だから(G)ギターをかついでいく。『練習なのだな』と思わせるのである。尤も練習なのだけれども。実際スタジオを借りるより全然安い。カラオケボックスで一人珍奇男を弾き語っている姿はそれこそ珍奇男である。私は馬鹿だ。お金を投げてくれ。
私は友人とどこかへ行ったりしても何を話したらいいか分からなく、随分困る。黙っていたら失礼だろうかと考えつづけ結局黙っている。黙っていることでひどく疲れてしまう(汗)一番親しい友人にだって半年以上も会ってない。親しいとは言えないか(汗)どうでもいい話ならいくらでも出来るのだが、私自身『どうでもいい話なんか聞きたくない』という意識の元に生きているから、相手もそうだろうと勝手に思ってしまうのが原因だ。多くのミュージシャンが無口なのもそういうことなのかもしれない。友達なんか要らない。つきあいが無いから金が貯まる一方だ。
ペイオフなんて銀行を分散すれば関係無いと思っていたが、銀行がどんどん合併してしまいには一つになってしまうのが作戦なのかもしれない。一体誰の作戦なんだ。私に対するいやがらせか。国家ぐるみか。ぬいぐるみか。田中康夫か。一人だとロクな思想が浮かばない。一種の病だ。なんかくれ。