『蛇口をなおした』その1580
昨日書き忘れたが、月島のレバーフライをいただこうとしたら、予約しないと無理だとか。ああいうのはぽっと行ってぽっと喰うとうまいのだ。地方で売られているかどうか知らないが『荷風』という雑誌がある。もちろん永井荷風の荷風。今月は日本橋特集。
日本橋からふらふらと歩いていたら有楽町に出てしまった。むかーし会社が有楽町だったのでよく行っていた、駅すぐの小汚いエリアにあった超安い天丼屋が消えてイトシアとかいうお洒落な建物に変身していた。こうしてオヤジの立ち位置が減ってゆくのだ。
事務所を日本橋に移動したばかりなので、みんな帰りに散歩しているらしく、会社の女性は三越前に行こうとしたのだが岩本町(秋葉原のほう)に行ってしまったとか。男では考えられない間違い方だ。
いったい脳の中の何が違うのか、地理に強くなるコツは何なのか説明が出来ないが、私の頭にはぼんやりした地図を俯瞰して鳥の視線が出来上がっている。初めての場所でもそこが東京のどの辺に位置しているか分かっているので、ちょっとしたきっかけ(現在時刻による太陽の位置、まったく関係ない方向への道路標識など)さえあればどちらが海側で東西南北がどちらか大体分かる。だから日本橋から銀座まで適当に歩いていけばつく。しかし地下街では全くわからなくなるので、やはり地上の何かが教えてくれるのだろう。
その女性に聞いてみたのだが、道路のイメージしか持っていないらしい。『この道をまっすぐ』とか『ここを曲がって』という道路の目線しか持っていない。そこが工事中だとたちまち分からなくなってしまうだろう。私は道路なんかどうだっていい。千葉から群馬へ向かう首都高で目の前に富士山が現れる場所がある。北西に向かっている筈が、南西に見える筈の富士山が出てくるのだから驚く。単純に道路が一瞬くねっているだけの話だ。だから道路は信じない。むしろ錯覚を引き起こす。『方面』の方がよっぽど大事だ。やっぱりうまく説明出来ない。
よく言われる『手段』と『目的』だろうか。道路なんか手段であって、目的ではない。手段を優先するから目的を見失うのだ。
昔々、男は狩をしていて、女性は家事をしていたからこんな風なのだろうか。いや女性でも地図が読める人がいる。狩をしていた?