『敗北と死に至る道が生活』その2206
ライブレポで、「ココロに花を」にとまどいを感じ徐々に遠ざかっていった方が「離れた時間に悔やむ想い」という心境を書いてくれたのを読ませていただいた。その間「さほど俺の出番望んじゃないようだが」という歌も出てまして、なんだかじーんときた。復活組みの皆様おめでとう。「悔やむ」という分「新曲として聴ける」というメリットもある。ライブが終わっていろんな感想をいただける。「素晴らしい場所をありがとう」というメールもたまにいただく。私は場所を作っただけ。中身はエレカシファンが埋めてくれる。こちらこそありがたい。
私も「新しい季節へキミと」にとまどいを感じ日記に書いて皆さんに感想をいただいて今に至っているのは当時をご存じの方なら分かることだろう。今回の新春ライブで「すまねえ魂」では「探している何か」について「ココロだよ」と何を見つけたかまで歌われた。ミヤジ自身が「尋ねあぐねていた」のだ。戸惑わない筈が無い。
今回の各会場で始まる前に客席を見渡して「やったなミヤジ」と思い鳥肌が立っていた。エレファントカシマシを見られるという気持ちでみんな本当にいい顔してる。・・・武道館ではなぜか感じなかったのだが。
行き場のないときめき
心の中 キミを尋ねあぐねていた
毎日まるで自分という謎解いていくゲーム
全てを 愛せそうなのに
(新しい季節へキミと)
「キミ」とは過去の自分ではないだろうか。
嘘つきじゃないさ。時間が過ぎただけさ
僕らそうさ こうしていつしか大人になってゆくのさ
いざゆこう さらば遠い青春の日々よ
俺は何度も何度も叫んだけど
もはや君は遠い遠い思いでの中
(さらば青春)
「君」は世間を斜めから見ていたから無理して全員と肩をぶつけて、いちいち痛かった。ただ当時はそれが「大人」と言われる人たちの中で生きるための正直なココロのままだった。
素直に今を生きられりゃあ、どんなに、どんなにいいだらう。素直に生きてゆけりゃあ。(なぜだか、俺は祷ってゐた。)
素直に、素直に生きられりゃあ、どんなにいいだらう?(地元のダンナ)
不器用が故ちょっと遅かったけど素直に生きたら肩がぶつかることも少なくなった。「君」だって、何度か脱皮を繰り返した「(現在の)私」だって、ただただ今に正直に生きているだけだ。そういう意味では昔も素直に生きていたのかもしれない。ミヤジもそして私も。もしかしてあなたも。