『敗北と死に至る道が生活』その5162
私たちは時々刻々と色んなものを体内に取り込んでいる。目から耳から鼻から口から。
触覚や痛覚まで利用して。
空気、水、食べ物、ニュース、音楽、本、映画。
アナログなものからデジタルなものまで全て取り入れようとしている。
この状態を便宜上「インプット」と名付ける。
インプットした後、自分がどう変化したかが最も重要だ。
もし変化しないとすれば、せっかくインプットしたのに何も変化しなかったということだ。
単に良かったのか悪かったかだけでも思えばそれは変化だ。
それでも変化しないとすれば、変化しなかったということだ。
変化を便宜上「アウトプット」と名付ける。
空気をインプットするとゲップやオナラとしてアウトプットされる。
水をインプットすれば汗や小便としてアウトプットされる。
芸術をインプットすれば言びや悲しみがアウトプットされる。
食べ物をインプットすればゲロや大便としてアウトプットされる。
通常インプットする場所とアウトプットする場所は違うので、ゲロは単細胞並みである。
歌舞伎町の朝は細胞並みである。
アウトプットはインプットが無ければ始まらない。
せっかくインプットしたのに何も変化しなかったのならそのインプットは不要であり被インプット側の立場としても存在価値を疑われるどころか、お前はインプットではなくアウトプット側だろうと、とんだ濡れ衣を着せられてしまう。